グスタフ・マーラー
作曲グスタフ・マーラーは指揮者として華々しいキャリアを成し遂げた。ボヘミアのリキュール製造業者の息子として生まれ、いくつかの都市で経験を積んだ後、ウィーン宮廷歌劇場の芸術監督となり、最後はメトロポリタン歌劇場の芸術監督まで務めたのだから。その一方で、彼の作曲は同僚にも聴衆にも当初は疑いの目で見られ、ようやく死の前年に交響曲第8番で大成功を収めた。
にもかかわらず、マーラーの作品が聴衆に幅広く受け入れられるまでには半世紀近くもの時を要した。彼の音楽のエレジーとノスタルジーに満ちたパッセージには過ぎ去った19世紀への憧れが表現され、その崩壊とグロテスクなまでの先鋭化には世界大戦と人道的な破局の時代に起こりうる何かを予感したかのような趣がある。今日マーラーが交響曲と歌曲で成し遂げた偉大な作曲家という評価にもはや疑いの余地はない。ベルリン・フィルの歴史においても、マーラーは指揮者としてこの楽団に何度か登場しているが、作品の受容には時間を要した。ヴィルヘルム・フルトヴェングラーはマーラーの音楽には距離を置き続け、ヘルベルト・フォン・カラヤンは大分後になって初めてこの作曲家に取り組むようになる。後継者のクラウディオ・アバド、サイモン・ラトル、キリル・ペトレンコはそれとは対照的に、マーラーの音楽を自らの芸術活動の中心に位置付けている。