1992年、チェリビダッケの伝説的「ベルリン・フィル帰還コンサート」
1992年3月31日と4月1日、40年近くにわたってベルリン・フィルに背を向けてきたセルジュ・チェリビダッケが、その舞台に帰還しました。この演奏会映像は、その時のブルックナー「交響曲第7番」です。伝説的映像として長い間眠っていましたが、近年発掘され、デジタル・コンサートホールにもアップされました。あらゆるチェリ・ファン必見の内容です。
1992年3月31日と4月1日、セルジュ・チェリビダッケは1954年以来38年ぶりにベルリン・フィルを指揮しました。これは、当時のドイツ大統領が主催したチャリティ演奏会の枠で、いわば特別待遇。チェリビダッケは、カラヤンがベルリン・フィルの首席指揮者に選ばれて以来、オーケストラに背を向けてきましたが、大統領の仲介により、「和解」の機会が組まれたわけです。しかし実際には、チェリビダッケはこのコンサートでベルリン・フィルと確執を起こし、結果的に再共演はありませんでした。今回アップされるのは、この伝説的演奏会の映像と、リハーサルの模様を収めたドキュメンタリーです。
演奏は、正味86分を越える長大なもので、チェリビダッケの「第7」としても、特に雄大なものに数えられます。しかしそれ以上に興味深いのは、リハーサル(ドキュメンタリー)でしょう。ここでは、なぜこの機会が必ずしも「和解」に至らなかったのかが、明らかにされています。
チェリビダッケはベルリン・フィルに対し、「ブルックナーが分かっていない」と同断。つまり、「カラヤンのもとでブルックナーを演奏してきたベルリン・フィルは、ダメだ」という高圧的な姿勢で、リハーサルに臨んだのです。この挙動に、ベルリン・フィル団員は態度を硬化。険悪な空気が広がるなか、リハが進んでゆきます。その合間には、戦後直後のチェリビダッケを知り、彼に心服する古参団員たちの弁護が挟まれ、実にスリリングな内容となっています。
一方、彼の厳しい指示は、思わず膝を打ってしまう含蓄に富んだもの。チェリの指揮芸術のあり方が、深く実感されます。全体として、カラヤンへのルサンチマンを抱えるチェリが、ベルリン・フィルを相手に「計算を誤った」ことを生々しく伝える、歴史的映像です(ドキュメンタリーは日本語字幕付き)。
© 1992 EuroArts Music International