2015/16年シーズン開幕コンサートは、ラトル指揮のショスタコーヴィチ「第4」
ドイツ銀行提供による2015/16年シーズン・オープニング・コンサートは、ラトルならではの興味深い選曲です。ブリテンが師フランク・ブリッジの性格を描いたヴァリエーション、ショスタコーヴィチがスターリン圧政下の精神状況を暗喩した交響曲第4番と、ラトル一流のアイロニーと二重構造が際立っています。ブリテンでは、ベルリン・フィルの弦楽セクションの圧倒的な力感、ショスタコーヴィチでは、管セクションの色とりどりのソロを存分にお楽しみいただけます。
サー・サイモン・ラトルとベルリン・フィルは、2015/16年シーズンの幕開けにブリテンとショスタコーヴィチの作品を演奏しました。この2人の作曲家は対照的なようでいて、音楽的な共通項を多分に持っていました。若き頃、《ムツェンスク郡のマクベス夫人》の上演に触れたブリテンは、この作品をインスピレーションの重要な源泉としていました。1960年、ショスタコーヴィチがチェロ協奏曲第1番のロンドン初演のためにイギリスに渡った際、彼らは個人的に知り合い、友好関係を結びます。ブリテンは何度もソ連のショスタコーヴィチのもとを訪ね、またショスタコーヴィチはブリテンに自身の交響曲第14番を献呈したのでした。
今回演奏された2つの作品はほぼ同時期に生まれたものです。ブリテンの「フランク・ブリッジの主題による変奏曲」は、1937年、ボイド・ニール合奏団のザルツブルク音楽祭のデビュー公演のために作曲され、ブリテンの出世作となりました。ブリテンの師であるフランク・ブリッジへのユーモアあふれるオマージュ作品であり、彼はロッシーニ、ラヴェル、ストラヴィンスキー、マーラーのパロディを交えながら、これらの作曲家への敬意を表明しています。1936年に完成したショスタコーヴィチの交響曲第4番は、マーラーからの影響が色濃く見られます。当時作曲家は当局より形式主義者のレッテルを貼られ、ほとんど国家の敵と見なされていました。それゆえ、第2、第3交響曲に比べて伝統的な形式で書いたにも関わらず、この作品の初演は1961年まで待たなければならなかったのです。ベルリン・フィルが本作を初めて取り上げたのは、1976年、指揮者はゲンナジー・ロジェストヴェンスキーでした。
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