インタビュー
キリル・ゲルシュタイン(聞き手:ラファエル・ヘーガー)
ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は、今日では古今のピアノ協奏曲の中でも屈指の人気曲として知られていますが、完成に至るまでには作曲家の苦難の道のりがありました。1897年に行われたラフマニノフの交響曲第1番の初演は、大失敗に終わりました。初演の指揮をしたグラズノフに失敗の要因があったとも言われていますが、当時23歳だったラフマニノフは完全に自信を失い、深刻な鬱に陥ってしまいます。そのとき治療に当たったのが、モスクワの神経科医ニコライ・ダーリ博士でした。彼はラフマニノフに催眠療法と心理療法を用いて治療を施し、作曲家に創作のエネルギーを取り戻させることに成功。このようにして生まれたピアノ協奏曲第2番は、恩人であるダーリ博士に献呈されました。1901年、アレクサンドル・ジロティ指揮ラフマニノフのソロにより行われた初演は大成功を収め、この作品はすぐさま世界的に知られるようになるのです。
後半はチャイコフスキーの交響曲第3番。彼の交響曲としては唯一長調で始まるもので、5楽章という特殊な構成で書かれています。《ポーランド》というこの曲の愛称は、フィナーレでポロネーズのリズムが使われていることに由来しており、最後は華やかに締めくくられます。
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